セルビアのバスでこの世の闇を見た話

2023年5月某日

 

徹夜二日目、眠気がピークに達し、起きているのか夢を見ているのか、酒に酔ったかのように現実があいまいになる。

冷房があまり効いてない中華製バスで、身を縮めてジッと暖まるのを待つ。

5月だというのに10度ほどしかない。防寒着はジャケットのみ。明らかに寒い。

ふいに、ガタイの良いセルビア人のドライバーが、前の席に移るように促した。

車内には私と、老人と、ドライバー、とその助手がいるだけだった。

わけもわからず前の席に移る。老人は助手と話をしているが、セルビア語で何一つわからない。ロシア語であればよいのに。

 

ふとバスが止まった。

 

状況を説明すると私はブルガリアからセルビアへ陸路で入国していた。国境の町、dimitorygradに来ていた。バルカンフレキシパスを購入していた私は、電車でベオグラードまで行くことを計画していた。

しかし現地に行って言われたことは

「電車ないよ!貨物列車になら乗せてやろうか?300ユーロな!hahahaha」

正直言ってなぜ電車が無かったのか今もわからない。万博があるため鉄道を総とっかえするとか、何とからしい。

ブルガリアから嫌な予感(セルビア行の電車が一切ない)がしていたがそれが当たってしまった。

 

インターネットでベオグラード行のバスを急いで調べる。

見つかったバスはam2:00スタート。それ以外は売り切れていた。

なれないセルビア語でチケットを買い、バス停すら正確にわからない。不安が募る中、眠る時間も無い。

 

そんな精神的にも、肉体的にも疲れ切って、脳が安泰を欲するときに、バスの扉が開いた。

 

人間の垢の匂い。冷たい外気と共に、風呂に入っていない人間の匂いが流れ込む。

助手の顔色が変わり出口に仁王立ちする。

アフガン難民だ。

8割方30代ほどの男、中には赤子を抱いた女もいる。

服装は大体黒、茶、暗い色をしている。それでもなお、服は洗濯していないのであろう。黒光りをしている。汚れてしまったヒジャブの下に白い眼が光る。

20人ほどがバスに乗り、運転手と助手が「もう乗せられない!離れろ!」と叫ぶ。

セルビア語がわからない私でも、男の本気の咆哮は理解できる。

アフガン人がカタコトの英語で「デェアイズファーダー!(父がそこにいる)」と叫ぶ。父が乗っていて家族で乗せてほしいという懇願なのだろうか。

流れ込むアフガン人をセルビア人が体を張って止める。

咆哮が轟き、それをすり抜けようとするアフガン人。

限度が過ぎたのかセルビア人は、すり抜けたアフガン人の腕をつかみ、車外に放り出した。そして未だ乗らんとするアフガン人に蹴りを入れる。

蹴り落とす。そんな光景であった。バスの手すりからアフガン人が手を離した瞬間、「車を出せ!」と助手が叫んだ。

既に乗り込んだ、といっても子供や老人、女は優先的に乗り込まさせていた。彼らは静かに大きな目を見開いて、蹴り落とされる同胞を見ていた。

その中に夫はいたのだろうか。

その中に息子がいたのだろうか。

運転手は警察に電話をしている。彼らはどこに連れていかれるのか。

息が上がった助手がこちらを見る。

「写真、撮ってないよな?」

ここが地獄か。地獄を知らないで生きる私は。

 

次の駅、警察がバスに乗り込む。人数的にもパトカーに乗せられないのだろう。黙って私(と老人)とアフガン人の間の空間に座る。

 

アドレナリンが出て眠気が薄れていたのだろう。

少し安心した私は、くたばるように眠りについた。

彼らはいったい、どこへ行ったのか。

 

そんなアフガン人とギリシャで意気投合して連絡先交換した話もいつか書きます。